なかなか子どもを授からず不妊治療をしていましたが、原因不明で歩けなくなりました。      その他、甲状腺疾患のこと、趣味のガーデニングのことなどを綴っています。
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笑てなしゃーない
2008年01月17日 (木) | 編集 |
先週末、Oさんから電話がありました

久しぶりのOさんの話題なのでお忘れの方もいらっしゃるかと
思いますが、入院中にお世話になり、助けていただいた
素敵なご夫婦です。

ちなみに、今までのOさんのエピソードは、カテゴリーの 
[膝] - [素敵な出会い] に 入っています。

Oさんご夫妻とはその後も1ヶ月に1~2回、電話でお話しています。

Oさんは9月にもう片方の膝の人工関節手術をされ
1ヵ月後に退院されました。 入院中にも私の外来の日に
お見舞いに行かせてもらったりしました

その時には、また 「手作りにんにく卵黄」 を分けてくださり
今度は以前頂いたものの倍くらいの量がありました。
本当に有難いことです。

毎日、愛情を感じながら頂いています

その後のOさんの具合は、手術前ほどの痛みはないものの
足首も悪かったり、手術前の症状が悪すぎたこともあり
家の中でも杖がないと歩けないそうです。

それでも前よりはマシになったんだから、それでいいと
にこやかにおっしゃいます。

私の足の調子が悪いことを話しましたが
私もOさんにならい

あんまり悪い方に考えずにやっていこうと思ってるんです。

と言いました。

すると、懐かしいあの一言が。。

ほんまやな。 笑てなしゃーないなぁ。 

あぁ~、これこれ。。 和むなぁ
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にんにく卵黄
2007年08月17日 (金) | 編集 |
手間ひまかけられたOさんご夫婦のにんにく卵黄が届きました。

その前日、Oさんとの電話を切った後、家にあるにんにくを
計ってみました。

5g でした。

Oさんのレシピは、卵黄1個に、にんにく100g。

にんにくの大きさにもよるけど、この大きさなら
卵1個に対して、にんにく20個。

卵も何個も使っているだろうから、にんにくの皮を剥くだけでも
相当、大変な作業です

しかも、火にかけるのは、ひたすら 5時間!!

この暑いさなかに、相当大変だったにもかかわらず
そんな苦労は微塵も感じさせない口調で、ただただ

私が元気になってくれたら
体質改善ができたら
足が治ってくれたら

と、私のことばかり心配をして、頑張って作ってくださった一品です

心して、届いた荷物を開けました。
[続きを読む...]
連絡ふたたび
2007年08月15日 (水) | 編集 |
にんにく卵黄のお話を聞いて数日が経ち、私が病院に行った
翌日のことでした。

Oさんご夫婦から電話がありました。

きのうの病院はどうやった?

いつものように診察のことや相変わらず進展がないことを説明。

そっかー、お父さんと話してて、またけろっこさんが先生から
打つ手がないとか言われて、元気なくしてるんちゃうかと思ってね。


と、電話をくださった訳をおっしゃいました。

そして、驚くことに!!

お父さんが、この間、電話でしゃべった後、早速、にんにくと卵を
取り寄せたら、ちょうどいいのがあってねー。 作ったから送るわね。


って、ちょっと待って

作ったって、そんな簡単に言うけど、秋に作るって言ってたのに
この暑いさなかに5時間もかけて、作ってくれたってこと??

びっくりして言葉が出ませんでした。

しばらくしてお話を聞くと、国産のすごくいいにんにくと
鳥取の天見卵という地鶏のすごくいい卵が手に入ったらしく
早速作って下さったというのです。

おじちゃんは暑がりで、私が入院していた5月でさえ、
汗をブルブルかきながら、毎日お見舞いに来ておられ

今からこんなんやったら、これからの季節が思いやられるやわぁ。

と、言っておられたのを思い出します。

そんな暑がりの汗っかきのおじちゃんが、この夏の暑い盛りに
5時間も火にかけて、汗をブルブルかきながら
頑張って作ってくださったのが目に浮かびます。

それを思うだけで、涙が溢れました。

しかも、にんにくも卵も高級品をわざわざ取り寄せて
材料費だけでも相当かかっているはず。

私が、卵をどれくらい使ったとか、にんにくは何個くらい使ったなどと
尋ねても、何も答えず、すごく大変だったでしょうと恐縮すると

そんなことは気にせんでいい。(気にしなくていい)
一回送ってみるから、体質に合ったら、また沢山作ってあげる。


と言って下さるのです。

飲み方は、カプセルに入れて、1日1回食後に飲んだらいいとのこと。

そのカプセルというのは、薬局に売っているらしいのですが
サイズがいろいろあって、私に合うのは、どのサイズで
どうやって、どれくらいの量をカプセルに入れるかなど
事細かく教えてもらっていたのですが、おじちゃんは口で言っても
分かりにくいので、カプセルをおじちゃんが買ってきて
サンプルとして何個か作っておくから、それも一緒に送ると
言って下さいました。

おじちゃん、なんて優しいの 

そんなことまでしてもらって、と私が恐縮していると

体質改善ができたら、いろんなことがきっとうまくいく。
これがけろっこさんに合って、体質改善ができたら
こんなに嬉しいことはない。


Oさんは

けろっこさんが、にんにく卵黄で体質改善ができて
元気になってくれたら、こんなに嬉しいことはない。 入院の時
同じ部屋で一緒に過ごしてきたんやから家族みたいなもんや。  
だから、そんないらん気ーを使わんでいいんやで。


と、おじちゃんもOさんも嬉しいことを言って下さいました。

たかが入院中2週間一緒にいただけの私に、ここまでのことを
して下さるOさんご夫婦・・・。

考えられますか

身内でもここまでのこと、なかなかしてくれません。

なんとも言えない温かさに包まれて、電話を切ったのでした

(つづく)
なつかしい声
2007年08月13日 (月) | 編集 |
退院してから1週間後、Oさんから電話がありました。

病院の公衆電話からで、話している途中にブーと鳴り、ツーツーツー。
切れてしまいました。

Oさんらしいな、と微笑みながら、しばらくするとかかってきて
そこからまた100円分話しました。

Oさんの退院が決まったらしく、あと1週間で退院できるとのこと。

私が退院して、まだ1週間しか経っていないのに、Oさんの声は
すごく懐かしく、そしてその声を聞くだけで心が和みました 

すごい癒しパワーです

Oさんが退院されてからも、電話でちょくちょく話しました。

はじめのうちは、私の足の回復も順調で、お互い励ましあって
順調に頑張っていました。

それが、私の回復具合が鈍ってきたあたりから
Oさんとの連絡の回数も減ってきて、私の心も沈みがちになりました

そして、久しぶりに先週Oさんに連絡をすると
Oさんは9月にまた入院して、今度はこの間手術した方と反対の膝を
人工関節にする手術が決まったとのこと。

Oさんの近況をいろいろ聞き、私のことも話しました。

思うように回復せず、なぜ治らないのか、原因も分からないことを
説明しました。

久しぶりに話をしたので、元気な口調で話していたつもりでしたが
Oさんは、私に元気がないことをすぐに察知し、励ましてくれました。

そして、おじちゃんにも電話を代わって下さり
おじちゃんはまたいつものように私に元気をくれました。

今は、八方ふさがりでしんどいやろうけど
絶対どこかに抜け穴があって、この状況から抜け出せるんやから
諦めたらアカンで。


優しく優しく、言って下さいました。

そして、おじちゃんが30代からずっと飲み続けている
『にんにく卵黄』の話をして下さいました。

以前の記事で、昔、おじちゃんが、ひどい虚弱体質だったのを
自力で治されたと書きましたが、それには、おじちゃんの
手作りにんにく卵黄がすごく効いたそうなのです。

これ以外にも色々試されたようですが、これが一番効いて
今の健康なおじちゃんがあるのだそうです。

今のおじちゃんは顔の肌つやもいいし、ふっくらされているし
75歳には見えないほど健康に見えます。
昔、虚弱体質だったなんて、微塵も感じさせません!!

で、そのにんにく卵黄の作り方を聞くと

もちろんにんにくも、卵もお取り寄せで、いいものを使うそうですが
卵黄1個に対して、にんにく100gの割合で、作るそうです。

まず、にんにくをスライスしてひたひたの水につけて火にかけ
水分がなくなるまで炒めていきます。

ペースト状になってきたら、卵黄を入れ、さらに火にかける。
この際、火は弱めたり、とろ火にしたり、様子を見ながら炒めていく。

そして、ひたすら混ぜること 5時間!!

あるとき突然、顆粒状になるらしいのです。

その後も、それをすり鉢ですって、ようやく完成。

開いた口が塞がらないほどの手間をかけて出来上がるようです。

飴色たまねぎを作るときに、いつも1時間火にかけて作りますが
それだけで手がだるいし、暑いしで、大変でなかなか作る気に
ならないのに 5時間 なんて考えただけで、ゾッとします。

さすが、おじちゃん!!
すごい! なんて一言では言い尽くせません!!!

で、そのにんにく卵黄を今もずっと飲み続けておられるのですが
そろそろなくなるから、秋頃に作ろうと思っているとのことでした。

そして、なんとそのにんにく卵黄を私にも分けて下さるというのです

そんな手間ひまかけられた貴重なものを頂くわけにはいかないと
丁重にお断りしたのですが

合うか合わないか分からないけど、このにんにく卵黄で
あなたが元気になって回復してくれたら、こんなに嬉しいことはない。
「貴重なもの」なんてそんな言い方をしてくれるだけで十分や。


と言って下さるのです!

作り方を聞いたので、自分で作ってみると言いましたが、
作ったことのない者には火加減などが難しくて無理らしく
しかもこれを作ると、家中に、にんにくの強烈な匂いが染み付いて
昼間に作ると近所迷惑になるほどの匂いなんだそうです。

なので、おじちゃんはいつも夜中に作るそうです。
5時間も火にかけるので半端じゃないほど暑いし
この季節はとてもじゃないけど無理だとおっしゃっていました。

私は、それ以上お断りするのも失礼なので、有難くお礼を言って
ご好意を受けることにし、秋を楽しみにしていると伝えました。

Oさんご夫婦の声を聞くだけでも、元気をもらえるのに
こんなもったいないお話を頂けるなんて、本当に何と言っていいか
分からないほど、嬉しく、胸がいっぱいになる想いでした。

そして、八方ふさがりになりつつある現状だけど
また頑張ろうという元気が湧いてきたのでした。

(つづく)
退院の日
2007年08月12日 (日) | 編集 |
不思議なことに、入院生活最後の夜は
朝まで一度も起きずに、ぐーっすり眠れました 
朝まで眠れたのは、入院生活で初めてのことでした 

最後にOさんとゆっくりと過ごしたかったので
昼食を食べて午後から、退院することにしました。

朝食後、いつものコーヒータイム 
術後しばらくは気分が優れずコーヒーを飲む気にはならなかったけれど
入院後半は、朝食後にドリップコーヒーを飲んでいました。

はじめは、Oさんも気分が優れず、一緒には飲んでいなかったのですが
途中からOさんも飲めるようになって、私が毎日食堂までコーヒーを
入れに行っていました。

退院の日は、Oさんと一緒に食堂へ行って
ゆっくりお話をしながら飲みました。

毎日当たり前のように、一緒に歩いていたリハビリも今日が最後。

退院する寂しさが込み上げてきます。

退院の身支度を整え、あとはダンナの迎えを待つのみになりました。

前日に書いた手紙を Oさんに渡す。

連絡先も書いてるので、また後で見てください。

Oさんの連絡先も聞き、胸がいっぱいになってくる。

そして、とうとうダンナが迎えに来てくれました。

Oさん以外の同じ部屋の人に挨拶。
この時点で、もう涙が溢れて半泣きに

そして、いよいよOさんのところへ。

今まで退院する人を沢山見てきたけど、泣いている人なんか
一人もおられなかったし、あんまり号泣するのもどうかと思って
必死で我慢していました。

Oさんのところへ行き、

いろいろお世話になり・・・

と言いかけたと同時に、Oさんが私の手をぎゅっと握って

こちらこそお世話に・・・ 

と言いかけて涙をボロボロ流して

こちらこそお世話になりました。 
ほんまにいい部屋に入れてもらえて、楽しい毎日やったよぉ。 


Oさんが私の手を握ってくださった瞬間、我慢していた感情が一気に
溢れ出し、私も号泣してしまいました 

入院した時は、不安がいっぱいでどうしようもなかったのに
Oさんのお陰で、毎日がすごく楽しくなりました。
いろいろお話できて、いろいろ教えてもらって嬉しかったです。
(ぐすん、うぅーーー)
退院するのが寂しいですけど、元気で頑張ってください。
(ひっく ひっく うぅぅ~ うぅーうぅ)


子供が泣くみたいにしゃくりあげて、もう言葉になりません 

最後にOさんと抱き合って、いよいよお別れのとき。

Oさんをはじめ、部屋の人や仲良くしていただいた方が
エレベーターのところまで見送ってくださいました。

ありがとうございました、と何度も何度も頭を下げ
エレベーターの扉が閉まりました。


帰りの車の中では、我慢していた気持ちが爆発して
声を張り上げて泣きました。

しばらくして、泣き止んだあとの顔が怖いのなんのって
びっくりするくらい腫れ上がっていました

泣き止んだ後は、延々、Oさんご夫婦の話をダンナにしていました。

お見舞いで毎日来てくれていましたが、話はゆっくりできなかったので
ダンナに話していないエピソードが山のようにあったのです。


そんなこんなで、大号泣の退院と相成りました。


たった2週間の入院生活でこんなにも素敵な出会いがあったことを
心から感謝しています

(つづく)
子供のいない人生
2007年08月11日 (土) | 編集 |
前回の記事で、Oさんご夫婦にお子さんがおられない話をしましたが
私がそれを知ったのは、退院の前日のことでした。

それまで、私のこともいろいろOさんに話しており
甲状腺のこと、赤ちゃんがなかなかできないことなど
聞いてもらっていました。

Oさんは

若いのに甲状腺や膝のことで病気をしてかわいそうに。
でも、まだまだ若いんやから、これから元気になって
きっとそのうち赤ちゃんも授かるよ。


と、ニコニコしながら諭すように優しく言ってくださいました。

この話をしていた時は、まだOさん夫婦にお子さんがおられないとは
知りませんでした。

退院の前日にふとしたことから、お子さんは?
という話をOさんにすると

子供はないの。 
その代わりに妹を引き取ったんよ。


そうおっしゃいました。

こんなにステキなご夫婦なのは、お子さんがおられないというのも
理由のひとつにあるのかもしれない。

きっと子供ができないことでも、いろいろ悩まれただろうに
そんなことは、ひとことも私に言わずに
絶対授かる』 と強く言って下さった言葉が
思い出されます。


膝のことで滑膜が増殖する原因が分からなかったり、
まだ完全に歩ける状態じゃないのに、退院が決まったりで
とても不安なとき、おじちゃんは決まって私を元気付けて
くださいました。

おじちゃんは、昔、喘息がひどくて、胃腸も弱くガリガリに痩せていて
今の体型からは想像がつかないほど虚弱体質だったそうです。

でも、喘息も虚弱体質も、ありとあらゆる色々なものを試して
何年もかかって自力で治されたそうです。

その時のことをおじちゃんは、

絶対諦めへんかった。 絶対治ると信じて頑張った。
『病は気から』って言うけど、その通りで
気で負けると治るもんも治らへんよ。 


こう話してくれました。  そして、私に対して

しんどいけど、絶対どこかに治る方法はあるんやから
諦めずに頑張るんやで。 
気で負けてしまったらアカンよ。


涙が出るほどに嬉しい言葉で、とても救われました。


いよいよ退院が翌日に迫った日の夜、Oさんにお礼の手紙を書こうと
筆を取りました。

たった2週間のことなのに、今までOさんと話したこと、
お腹がよじれるほど笑ったこと、日常の些細な出来事を
思い出すと、涙が溢れてうまく手紙が書けません

入院初日は、同じ部屋で見ず知らずの人と生活することが
あんなに嫌だったのが、こんなに分かれ惜しくなるとは
思いもしませんでした。

ようやく手紙を書き終え、いよいよ明日。
明日になるとOさんとの楽しかった生活も終わる。

そう思うとまた涙がポロポロと流れました。

そして、ふと、子供のいない人生を想いました。

Oさんご夫婦のように、子供のいない人生が
自分たちにもあるのかもれない、と。

今までは、子供のいない人生というのは選択肢に全くなかった。

まだまだ諦めたわけではないけど
そんな人生もあるんだと初めて気づいた夜でした。

(つづく)
学ぶことの多さ
2007年08月10日 (金) | 編集 |
入院中、Oさんからはいろんなお話を聞きました。

一番印象に残っているのは 『親孝行は生きているうちに』 という話。

親孝行は亡くなってからではできない。
亡くなってから、お墓参りに頻繁に行くのではなく
健在なうちに親孝行をしないと意味がないと
Oさんご夫婦は、おっしゃっていました。

Oさんご夫婦は、ご両親が生きておられるうちに悔いが残らないように
十分に親孝行をしたから、お墓参りは頻繁には行っていないのだとか。

数え切れないほど、ご両親を旅行や外食に連れて行かれたそうです。

悔いが残らないほど親孝行ができたなんて
なかなか言える台詞じゃありません・・・

それだけのことをやってこられたのだというのが
ものすごく伝わりました。

それを自分に置き換えると、まだまだこれっぽっちも
親孝行ができていない自分がいて、とても考えさせられました。

おじちゃんは三男だったけど、ご両親の介護は全てOさんご夫婦が
されたそうです。 兄弟との確執があったり、色んなお話があり
Oさん夫婦は本当に頑張って来られたのが分かりました。

そして、この仲の良いご夫婦にはお子さんがおられません。
『欲しかったけどできなかった』 と 言葉少なに
ある日、Oさんはおっしゃいました。

その代わり、Oさんの妹さんを引き取られたのだそうです。

というのは、Oさんの妹さんは自閉症だそうで
ご両親が亡くなられるまでは、兄夫婦と同居されていたのですが
ご両親が亡くなられた途端に、妹さんは兄夫婦の家から
放り出されたそうです。

施設に預けられることになって、とてもひどい状態になられたそうで
それを見かねたOさんは、おじちゃんと離婚を覚悟の上で
妹さんを引き取ると決められたのでした。

このときのことをOさんは、こうおっしゃっていました。

ダンナは放っておいても一人で生きていける。
でも、○○(妹さんの名前)は、どう頑張っても一人じゃ
生きていけへんもん。


ご自分の妹のことだから、そんな風に思えるといっても
家庭がある身では、なかなかできないことだと思います。

それを 「なかなかできることじゃないですよねー。」 と私が言うと

こんなことすごいことでも何でもない。
身内やからできることや。


と、Oさんはサラっと言ってのけました。

他にも沢山沢山、勉強になるお話を聞きました。

私の倍以上生きてこられたのだから、それだけの経験が
あるのだろうけれど、私なんてまだ足元にも及ばないというほどの
苦労を重ねてこられた人で、今のこんなにステキなOさんがあるのは
その積み重ねなんだと、つくづく実感したのでした

(つづく)
素敵な出会い
2007年08月09日 (木) | 編集 |
入院中のことで、もう少し皆さんにご紹介したいお話があるので
しばらくそのことを書かせてくださいね


入院初日は、ビックリするほど眠れず、この先の入院生活が
とても不安だったのですが、数日すると夜も眠れるようになりました。

耳栓、アイマスクも勝手に夜中に自分ではずして
爆睡できるようになっていました 
(それでも、夜中に何度かは目が覚めましたが・・・)

それもこれも、同じ部屋の方と仲良くお話できるようになったことが
その理由だと思います。

私を含めて4人部屋で、70代の女性2人と40代の主婦の方でした。
みなさんとても優しくて、私たちの部屋はいつも笑いが耐えない
明るい部屋でした。

中でも、ベットがお向かいだった 73歳の女性 O(オー)さんとは
すごく親しくして頂いて、退院した今でも、よく電話で話しをします。

Oさんは、とっても大らかで、優しくて、少し天然なところがお茶目で
話をしているだけで、心がホッします。
たまに毒を吐かれますが、これまた関西人独特のセンスがあって
とても共感できておもしろいんです 

Oさんは70歳まで、風邪ひとつひいたことがなかったのに
乳癌で片方の乳房を取り、腰が悪いと言われて腰にチタンを入れ
心臓の血管が狭窄を起こしているというので、ステントという
狭窄を防止するものを血管に入れ、今度は膝の人工関節。

なんとこの3年間の間に、こんなにも入退院を繰り返して
大病と戦ってこられたのです。

私もこの1年ほどで次から次へと困難がやってきていますが
Oさんのお話を聞くと、私なんてまだまだ甘いと思い知らされました。


このOさんを語る上で、はずせないのがご主人の存在。

Oさんより少し年上で、Oさん同様、ぽっちゃりした大きい体型で
いつもニコニコされて、とても優しい方です。
私とダンナはこの人のことを「おじちゃん」と呼んでいます。

おじちゃんは、日曜以外は毎日決まった時間にお見舞いに来られます。

いつも、何かしらOさんの好物を作って来られます。

それは、ゆで卵だったり、焼きとうもろこしだったり、焼き芋だったり
ホットケーキだったり、おいしいパン屋さんのパンだったりと
バラエティに富んでいます。

しかも、卵もとうもろこしもお芋も全部、どこどこの○○という
お取り寄せ品。 おいしいものを食べるのが大好きで
探求するのも大好きなおじちゃんは、こだわりをもっておられます。

大柄のOさんは、今回の人工関節の手術が相当辛かったらしく
術後もほとんどご飯が食べられず、10kg以上痩せられたそうです。

人一倍食べることが好きで、人の2倍はいつも食べるOさんが
そんなに食欲をなくしているのを見かねたおじちゃんは
毎日少しでもOさんが食べられるようにと、あれこれ考えて
持って来られるのです。

毎日持って来られたものは、部屋の人数分あり
みんなに分けてくださいます。

おじちゃんが持って来られたものは、何でもおいしく量も多いので
いつもダンナにも分けてあげていました。

そんなにたくさんの間食は本当はしてはいけないんだけど
おじちゃんの持ってきてくれるものの方がおいしいので
病院のご飯を残すこともしばしば。

食後にいつも全部食べたどうか聞かれる際、私は正直に残したと
言っていると、Oさんが

そんなん、嘘言うといたらいいねんよ。

とアドバイスをもらい、そんな風に言うようになりました 

Oさんとおじちゃんの会話を聞いていると、漫才のようで
本当に面白いんです。

とても心配性だけど、物知りで、心が広くて、何でもウンウンと
頷いて聞いているおじちゃんに対して、天然の絶妙なボケの語り口で
マイペースに話すOさん。

ホント微笑まずにはいられません!! 

食事へ行く時は、私もOさんもうまく歩けないので
いつもゆっくりと一緒に行って、一緒に帰りました。

2人の間には、お互いに声を掛ける決まりごとがありました。
Oさんは食事のときに、よくお茶を飲むコップを忘れ、
私は、食後の薬を飲むのを忘れました。

私が声を掛けるときは、いつも自分でコップを用意されているのに
私が言い忘れた時に限って、Oさんは忘れて来られます。

あるとき、食後に私が歯を磨いていて、Oさんに

薬飲むの忘れたらアカンでー。

と言われて、調子よく返事をしておきながら
歯を磨いて自分のベットに戻ったら、薬を飲むのを忘れていたり・・・

こんな感じで、同じようなエピソードがいろいろあり
少しボケ具合が似ていた私たちは、いつも持ちつ持たれつで
楽しくやっていました 

(長くなるので、続きは次の記事で。)
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