なかなか子どもを授からず不妊治療をしていましたが、原因不明で歩けなくなりました。      その他、甲状腺疾患のこと、趣味のガーデニングのことなどを綴っています。
スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
入院生活を振り返って
2009年02月27日 (金) | 編集 |
先日、夕飯を食べ終えたあとに

あぁ~おいしかったなぁ~。 

と、満腹になった私が嬉しそうに言うと
ダンナがボソっとこぼした一言。

あの時はホンマに大変やったなぁ・・・。

あの時とは、退院直後のことでした。

それまで全くこの類の言葉を聞いていなかったので
やっと安心できたのだと思うと
つくづく心配をかけたのだと分かりました。

私は自分のことなので、よく分かっていませんでしたが
まるで廃人のようになっていたそうです。

体重は9キロ減り、食欲がなく
食べれるものといったら極端にあっさりしたものだけ。

もちろん、家事もできませんでしたので
食事の支度もダンナがしてくれていました。

あっさりしたものを、あっさりしたものをと考えて
食事を作ってくれていたそうですが
それでもあまり食べらず大変だったようです。

食器の音や扉が閉まる音など
ほんの少しの音で驚いてしまって動悸がしたり
座っているだけもしんどくなって、すぐに横になったり。

しばらくは家族と話すのも普通に話せず
1ヶ月くらい経った頃から徐々に回復していきました。

こんな状態になったのは生まれて初めてのことで
精神的に追いやられると、こんな風になるんだと
自分の体を持って体験しました。

3ヶ月の入院生活を振り返って・・・
[続きを読む...]
スポンサーサイト
退院当日
2009年02月26日 (木) | 編集 |
退院当日。
朝の治療だけを受けて病院をあとにしました。

入院中、お世話になった看護師さんや
清掃のおばちゃん、入院仲間にお礼を言いました。
辛いことも多かったけれど、いい人も沢山おられたので
その方たちに救われました。

先生に対しては最後まで不信感が強く残りましたが
お世話になったことは事実だし、歩けなくなってしまったけれど
この病院の治療で薬が止められたことは私にとって
ものすごく大きなことだったので、その意味も込めて
大人の挨拶だけはしておきました。

バスに乗り込み、駅に向かう車内の中で
この道を私は杖なしで歩いたのかと思うと
とても不思議な気分でした。

駅に着き、電車を待とうとホームへ。

電車の時間まで少し時間があったので
休もうと思ったら、椅子が空いていませんでした。

両杖をついて歩き出し、まだ5分も経っていないのに
すでに足が限界でした。

痛くて痛くて立っていられませんでした。
幸いすぐに椅子を譲ってくださり座ることができたのですが
悔しい気持ちが胸いっぱいに込み上げてきました。

ダンナに大きな大きな負担を掛けて
こんな遠方で3ヶ月も入院させてもらったのに・・・。

あんなに頑張って入院生活を過ごしたのに・・・。

最近はほとんど外出しておらず、院内しか歩いていなかったので
自分がこれほど状態が悪いとは意識していませんでした。

家路に着く電車を待つ時間。

やっと家に帰れるという喜びを感じるところが
自分が全く治っていないのだという現実を突きつけられました。

痛くて痛くて、悔しくて悔しくて・・・。
泣いても泣いても、その悔しさは癒えることがありませんでした。

ダンナはずっと話を聞いてくれていましたが
きっと何ともいえない思いをしたことでしょう。

このとき傍にいてくれたことに本当に感謝します。

こうして3ヶ月に渡る入院生活が終わりました。
退院の決意
2009年02月25日 (水) | 編集 |
先生との話し合いを終えると
迷うことなくすぐに退院を決めました。

これ以上入院していても意味がないことは明らかでした。
いろんな意味で・・・。

翌日にでも退院したい気分でしたが
荷物を送ったり、保険の手続きをしたりと諸々あり
話し合いから3日後に退院することになりました。

家族に連絡すると、急なことで驚いていましたが
ダンナが迎えに来てくれることになりました。

足は疼くし、動悸や息切れがする状態での
荷物整理はかなり大変でした。

3ヶ月の入院生活で荷物はいっぱいになっていました。
ベットマットまで送ってもらっていましたから。
(ベットマットが古く、凹んでいて腰や背中が痛くなるので
持ち込んでいる患者さんが多かったです。)

体調が悪くて荷造りもはかどらず
退院が決まってからの3日間はあっという間でした。

2回目の深打ち注射から何とか少しは歩けるように回復しましたが
結局、早朝散歩に行けたのは2日くらいで、50分歩けていたのが
休まずに5分も歩けない状態になっていました・・・。

しかし、院内はなんとか杖なしで歩けるようになっていて
退院を決めた後は慌しく時間が過ぎていったので
自分の状態がどれ位悪いものなのか意識せずに
退院までの時間が過ぎていきました。

先生に退院することを伝えると

「必ず治るからね」

と、またいつもの台詞

この病院に来て 「絶対治る」 という言葉を何度聞いたことか。
本当に完治した人はいるのかな。
先生は何を根拠にこんなこと言うんだろ。
治るはずだって自分に言い聞かせてるのかな。

今さら何を根拠に? と思いましたが
最後まで揉めるのも嫌なのでサラっと流しました。

この病院で完治させるつもりだったのに
とんだ計算違いになってしまいました。

ドクターショッピングを繰り返し、近くにはもうないからこそ
遠方まで来たのに、これ以上どこへ行けばいいんだろう。

それに今度は心の方も診てもらわなければならない。

本によると、身体表現性障害を治療するなら
「心療内科」 ではなく 「精神科」 に行かなくてはならないこと、
「精神科」 でも 身体表現性障害はあまり有名な病気ではないので
熟知される先生の元で治療をしなければならないということが
分かっていました。 

果たして、そんな病院を見つけられるのだろうか・・・。
色んな思いが頭の中を駆け巡りました。

とりあえず、あとのことは退院してからゆっくり考えよう。

劣悪な入院環境から開放される。
それだけでいいじゃないか。
ここから逃れられると思うと心から嬉しく思いました。

家に帰ったら眠れるかな。
もうちょっと楽に呼吸ができるようになるかな。
夜もクーラーかけて寝られるし足の疼きがマシかな。
家のおいしいご飯が食べたいな。

フラフラになりながらも、そんなことを考えていました。
話し合い(後編)
2009年02月24日 (火) | 編集 |
あれやこれやと精神疾患にしたがるようなことを
山ほど言われ、腹の立つ気持ちを必死で抑えながら
この話し合いで一番聞きたかった本題に入りました。

1回目の深打ち注射で歩けなくなったということを
この話し合いの場では覚えていたような口ぶりだったけれど
それなら、どうして2回目の深打ちをしたのか?
毎日のように、深く打ったら痛いと口が酸っぱくなるほど
言っていたのに・・・。

当日、注射をする箇所は1箇所がいいか、複数箇所がいいか
どちらがいいかと確認して、1箇所でいいということになりました。

その直後、まだ私の話も終わっていないのに
しかも、深さのことは一切話をしていないのに
いきなり何の確認もなしに、なぜ深く注射する必要があったのか?

しかも、私が壁をどんどん叩いて「止めて下さい」と懇願し
今までにないような痛がり方をしているのに
執拗に注射を続ける意味がどこにあったのか? 
その真意が一番聞きたかったのです。

しかし、この話題に入ると先生は

「あの時(朝の回診時) 謝ったでしょ?」 

と言われ、話は謝ったかどうかにシフトしていきました。

というのも、私にはずっと引っかかっていることがあったので
そのことを確認したいという気持ちもあったからです。

それは、『先生は翌朝の回診時に何に対して謝ったのか?』
ということ。

「ごめん、ごめん、これでいいか」

と、まるで子どもに言い聞かせるような口調で
朝には謝ったにもかかわらず、その日の夕方には
足が上がらなくなったのは転換性障害が原因で
こういう問題を患者にうまく説明するのは難しいと言って
足が上がらないのは注射が原因ではないようなことを
しきりに言っておられました。

「患者が100人いて同じような深打ち注射をしても
100人全員が私のように足が上がらなくなるとは限らない、
と先生はおっしゃいまいました。 私の足が上がらなくなったのは
注射のせいではないと取れる言い方を何度もされました。
だから先生は自分の非は、認めておられないのだと感じたんです。」


私はこう言いましたが、先生は口を開かず・・・。

「先生は自分が深く打ったせいで足が上がらなくなったのだと
ご自身の非を認められるんですか!?」


「・・・・・・」

「・・・・・・」

しばらく沈黙が続きました。 
そして・・・


「認める、ごめんなさい。」


先生はそう言いました。


私は丁重に謝ってほしくてこんなことを言っているのではなく
足が上がらなくなった原因を転換性障害にすり替えられていると
感じたので、その辺をハッキリさせたかったのだと伝えました。

結局、謝ったかどうかに話がシフトしてしまい
どうして深く打ったのか? 
という一番聞きたかった真意については
結局聞けず仕舞いで、終わってしまいました。

本来なら先生と二人で話がしたかったのに
思わぬギャラリーが何人かいて動揺をしていたせいもあるのでしょう。

他にも話したかったことはありましたが
話せるような雰囲気でもなかったのでやめておきました。

一番聞きたかったことを聞けなかったのは悔やまれますが
先生が自分の非を認めたのなら、それでいいかと
このときは思ってしまいました。 

このときは・・・。

だけど、今になってもやっぱり 『どうしてだったのだろう』
と思ってしまうし、考えれば考えるほど分からなくなります。 

単に何も考えずに注射したのではないかと思っても
悔しくてたまらず、怒りが込み上げてきます。
まぁアレコレ考えても、後の祭りです・・・。

話し合いの最後は最初と同じく

「わざわざお時間をいただきましてありがとうございました。」

と、先生と奥さんの顔を見て丁重にお礼を言いました。
こうして話し合いが終わりました。
話し合い(前編)
2009年02月23日 (月) | 編集 |
今後のことを相談するために時間を取ってほしいと
看護師さんを通じて伝えた内容は・・・

「夕方の診察が終わった後に、少し時間を取ってほしい。
診察室には外来、入院含めて患者が誰もいない状態で
先生と2人だけで話がしたい。」 というものでした。

それが叶ったのは週末を挟んで3日後のことでした。
何を話すか、何を聞きたいのか、紙に書いてその場に臨みました。

呼ばれた診察室に入ってみると
何故か先生とその隣に奥さんの姿が・・・。
しかも、隣の診察室にはまだ患者さんがいるし。
看護師さんも事務員さんもいる。。

えっ!? 先生と二人だけで話がしたいと思っていたのに・・・。
なんだこれ? 話と違う!! 

と思いながらも、冷静に冷静にと自分に言い聞かせ

「わざわざお時間とっていただいてありがとうございます」

と、丁重にお礼を言うところから始めました。
[続きを読む...]
自分と比べてみる
2009年02月21日 (土) | 編集 |
足が上がらなくなったのは 身体表現性障害 だと言われたことで
5つある症状のうち、転換性障害 と 疼痛性障害 について
それぞれがどんな症状か比較してみました。
(↑リンクHPより抜粋させてもらいました。)

*******************************************************

 転換性障害(転換性ヒステリー)

突然歩けなくなる、手が動かなくなるといった「運動麻痺」と声が出なく
なる、手足や顔の痛覚がなくなるといった「感覚麻痺」が起こります。
一口に運動麻痺と言っても、自分の意思で動かしたり止めたりできる
筋肉(随意筋)の麻痺というのが特徴です。 
これらの原因はストレスや心の中の葛藤で、身体の様々な症状に
“転換”されて、明らかな身体障害になってあらわれるのです。

<診断基準>
1.運動機能や感覚機能を損なう症状が1つ以上あり、神経の病気や
  身体の病気であるかのようにみえる。
2.その症状が始まる前や悪化する前に、本人にとってストレスに
  なるようなことがあり、原因には心理的なものが関係していると
  判断できる。
3.その症状は本人がわざと作り出しているわけでもなければ
  症状があるようなふりをしているわけでもない。
4.検査などで適切な方法で調べた結果、原因は身体疾患でも
  なければ薬物などでもない。
5.症状のために強い苦痛を感じていたり、社会的、職業的、
  その他重要な場面で支障がある。

<治療>
軽い抗不安定薬を使いつつ心理療法、特に力動精神療法によって
転換性障害を引き起こす原因となった、ストレスや心の葛藤を明らかに
していくといった方法が一般的です。時にはアモバルビタール
(イソミタール)という睡眠作用のある薬を点滴で投与して話を聞いたり
(イソミタール・インタビューという)、催眠療法によって原因を知る
方法も使われています。


 疼痛性障害

1つ以上の場所にずきずきとうずくような痛み(疼痛)がいつも
感じられるのですが、内科的にも外科的にも異常はなく明らかに
ストレスが関係していると認められるものを疼痛性障害と呼びます。
発症は男性よりも女性のほうが約2倍と多く、ピークは40~50代です。

<診断基準>
1.深刻な疼痛が身体に1ヶ所以上にある。
2.痛みのために強い苦痛を感じていたり、仕事や社会的な面で
  支障がある。
3.心理的な要因が、疼痛の原因やその深刻さ、再発などに
  大きく関わっている。
4.疼痛は本人がわざと作り出しているわけでも、痛むふりを
  しているわけでもない。
5.疼痛は感情障害や不安障害、その他精神病の症状として
  説明できるものではない。

<治療>
心理療法でストレスの原因を明らかにし、その解決をはかるとともに
抗不安剤や抗うつ剤などの薬の助けを借りて改善を目指します。

*******************************************************

このように2つの症状と私の症状を比べてみると
疼痛性障害は、ほぼ当てはまっていました。
私の場合、ストレスだけが原因になっているかどうかは
分かりませんが、少なくともストレスが強いと痛みが
ひどくなるのは事実でした。

だけど、転換性障害はどう考えても違いました。 
少しは当てはまるようなところもありましたが、足が上がらなくなったり
歩けなくなっているのは明らかに注射後の痛みが強すぎて
それらの動作ができないだけであって、運動麻痺が起きているとは
考えにくかったからです。

しかも、2回とも深打ち注射の直後から同じことが
起こっているのだから、それを 「ストレスによる運動麻痺」
と考えられたら、たまったもんじゃありません。

診断基準に 『その症状が始まる前に本人にとって
ストレスになるようなことがあり・・・』
 とありますが
先生は 『注射を深く打ったこと』 が 『大きなストレス』 だと
思っておられるのでしょうか。 その辺りが分かりません。

疼痛性障害の方で考えると、膝を傷めたころ
不妊治療をしていたので大きなストレスがありました。
だから、このストレスが疼痛を引き起こしたというのなら
考えられなくもありません。

当初、原因も病名も分からなかった時にストレスが原因で
ひどい痛みや歩けなくなるなんてことがあるのかと
散々ネットで調べていましたが、この病名にたどり着くことは
ありませんでした。

もしたどり着いていたら、その方面の病院にも
行っていたかもしれません。
[続きを読む...]
じゃぁ病名は?
2009年02月20日 (金) | 編集 |
足が上がらなくなったことや、歩けなくなったことに対して
「病名は見当がつくが今は言えない」と言われたことについて
翌朝の注射のときに聞いてみました。

「今は言えないとのことでしたが、いつになったら
 言ってもらえるんですか?」


「言い方が悪かったね、じゃぁ今言おうか。」
(だったら、もったいぶらずにきのう言えばいいのに。)

その病気の専門医ではないので確たる証拠がないのに
言うのはどうかとためらったのだというようなことを言われました。
(ふーん。。 )

その病名とは 身体表現性障害

で、私の場合はそれと 筋筋膜疼痛症候群(MPS) だと。

先生は、その病気がどんなものかと説明するよりも
皇后陛下も以前この病気になられたことがあって
突然声が出なくなられたとか、この病気だと
突然歩けなくなったり、手が動かなくなるという
運動麻痺が起こるのだと言っておられました。

私の足が上がらなくなったのも
その運動麻痺が起こったとでも言いたいのか!!
と、またブチ切れそうになりましたが・・・。

私は皇后陛下にそんなことがあったのかよく知らなかったし
初めて聞く病名だったので、自分で調べてから
詳しく話を聞こうと思いました。
[続きを読む...]
今度は何?
2009年02月19日 (木) | 編集 |
深打ち注射の後、膝には注射をせず
1週間ほどすると少し動けるようになりました。
院内も杖なしでも短い距離ならなんとか歩けるようになりました。

もちろん、痛み、疼き、熱感はなくならず
治る気配は一切ありません。

その間、夜間のクーラーつけっぱなしにより
風邪をひき、熱も出て寝込みました。

これは、2回目のことでした。 
以前も同じ看護師さんだったので正直困りました。

通常消灯後はクーラーが消されるため
消灯直前までクーラーを寒いくらいの低温にしてもらいます。
室温が上がるだけで疼きがひどくなるので
少しでも低い室温を保つ為にそうしてもらっていました。

そして、布団は足元だけにかけて眠ります。
布団をかけるとそれだけで疼きがひどくなるので。

以前も同じことがあり風邪をひき3日間寝込みました。
気をつけてくださいと念を押したのですが、また・・・。
風邪をひく私が弱いのですが、免疫力も落ちているので
さけられないところもあって・・・。

一度目は仕方ないかと思いましたが、薬を間違われたり
他にも色々とこの看護師さんのときに問題があり困っていました。

そして、そうこうするうちに日が過ぎていき
痛みは一向によくならず・・・。

このまま注射を続けて治る見込みがあるのかと聞いてみると
それは難しいというようなことを言われ
更に驚くことに

「足が上がらなくなったのは、筋痛症とは全く別の症状だ」

とまで言い出したのです。

深打ち後、歩けなくなったことや、足が上がらなくなったのは
注射が原因ではないと・・・。

ハァ??
[続きを読む...]
一夜明けて
2009年02月18日 (水) | 編集 |
前日夕方の深打ち注射の後、時間が立つにつれ痛みはひどくなり
夜もほとんど眠れませんでした。

朝ベットから起き上がると痛みは更にひどくなっていました。
院内は杖なしで歩けていたのも、両杖を使っても
歩くのが大変なほどになっていました。

朝の注射のとき、悔しい気持ちがいっぱいになり
先生と看護師さんの前で号泣し、思いの丈をぶちまけました。

朝の注射は外来の前に短時間で行われるもので
いつも忙しそうであまり話せないのですが
そんなことは関係ありませんでした。

それよりも何よりも、毎日深く打ったら痛いと
口がすっぱくなるほど言ってきたのに、
しかも前日の深打ちされる直前にも 
『深く打つと痛い』 と念押しをしているのに
その直後に、同じことが繰り返されるってどういうことなのか!?
どうしてまた歩けなくさせられたのか!?
全くもって気持ちが治まりませんでした。

先生は泣きながら訴える私に

ごめん、ごめん、もういいか?

と、まるで泣きじゃくる子どもをなだめて
あしらうような言い方をされました。

私はその接し方に納得がいかなかったけれど
朝は時間がないのも分かっているし
それ以上は何も言いませんでした。

それから数日、注射の時には毎回のように

足は上がるか?

と、聞かれました。 

上がるわけがありません
だから深く打つと痛いって言ってたのに

足は上がらない、歩けない
外には一歩も出れず
動悸、息切れが激しく
人と会話するのもままならず
食欲もなく、夜も眠れず
痛み、疼き、熱感に苦しむ日が続きました。
ウソでしょ!?
2009年02月17日 (火) | 編集 |
深打ち注射をされて足が上がらなくなり
毎日血のにじむような努力を続けて
やっと50分歩けるようになりました。

歩けるようにはなってきたけれど、痛みや熱感、疼きは
一向にとれません。

毎日、朝夕の注射を受けても何の効果もない状態が続きました。

足以外の場所は痛いところに丸を書き
自分で書けない場所は友達に書いてもらっていましたが
足だけはどこに注射をしたらいいのか、全く分かりませんでした。

そして自分では分からないからといって、先生に任せると
触診もせず適当に注射をされたり、極端に数が少なかったりで
きちんと注射をしてもらえないことが増えました。

きちんと注射してもらえないのだったら
自分で丸をした方がいいのかなと思って
痛いところに丸をつけるのですが、丸をつけても
本当にその場所が正しいのか分からなくなっていました。

膝は以前深く打たれて足が上がらなくなったので
2,3箇所浅めに打ってもらっていましたが
浅く打つだけでは全く効果がありませんでした。

浅く打つと効かないし、深く打つと痛くなる
だったら、その中間くらいの深さで打ってもらったら?
そんなことも試しましたが、やっぱり直後は起き上がれないほどの
痛みが走り、その後もその痛みをひきずりました。
もうどうしたら良いのか分かりません。

そのうち、このまま続けて本当に治るのか
という疑問が沸々と沸いてきました。

この疑問を相談しようと思い、そのタイミングを
見計らっていましたが、先生はいつも忙しそうで
話をできるような状態ではありませんでした。

そして数日が経った日の夕方
今日は絶対に相談すると心に決め注射に臨みました。

まずは、足以外のところの注射を先に済ませ
足は何も印をせずに、相談したいことがあるので
注射する場所などは相談の後に判断してほしいとお願いし
相談を始めました。 

私:  膝に注射をするのは、1箇所に多めに液を入れるか
    数箇所少量ずつを注射をするのがいいのか
    どちらが良いのでしょうか。 深く注射をしたら
    足が上がらなかったり、歩けなくなりましたし
    浅く打って少量注入するだけでは効かないですし・・・。


先生: 1箇所でいいと思う。 以前ステロイドを注射して
     良くなったことがあったんやね? ステロイド打ってみるか?


私:   いえ、結構です。 以前も同じことを言われて試しましたが
     効果はなかったのでステロイドは打ちたくありません。 
     ステロイドで効果があった病院では、膝蓋腱はとても細いので
     損傷させる可能性が高いので1ヶ月に1回しか
     打てないと言われていました。


先生:  ・・・・・・・・(無言)

私:   こんなに小さい膝下に集中して何箇所も
     毎日注射して傷めないんですか?


先生:  問題ない。

と一言。 その後、先生は右膝の痛い箇所を触診しだし
膝蓋腱あたりに注射の深さも何の確認も一切せずに
いきなり注射をしてきました。

えっ、何!? と思ったときには遅かった。。

今まで感じたことのない痛みと注射液の量!!!
以前の深打ちよりも更にひどかった・・・。


これまで注射がいくら痛くても歯を食いしばり
声を出したことのなかった私が 

「痛い、痛い」 

を連呼しました。

そして壁をドンドン叩いて

「痛いですーーー!!!」 

と叫びましたが
それでも先生は注射を止めず、私は叫び続けました。

そして、しばらくして針は抜かれました。

その後の痛いこと、痛いこと!!!
今まで感じたことのないほどの痛みでした。 

何の確認もなしに、いきなり始まった注射。
何が起こったのかとしばらく放心状態になりました。

その後すぐ先生は

「右足が上がるか」

と確認をしてきました。 もちろん上がるわけがありません

先生が支えても全く上がらず、ボタっと下に落ちてしまいます。

私はまだ先生に聞きたいことが残っていたので
次の質問をしました。

「杖なしで30分以上歩けるようになった6月下旬頃は
痛みだけでなく、熱感や疼きもほとんどなくなったのに
また痛みや感覚異常が出てきてしまいました。
当初と同じ治療していて、内転筋(太ももの内側)に固まっていた
筋肉もなくなったのに痛みが取れないのは何故でしょうか。」


「う~ん、ほんまやなぁ・・・。」

いつものようにハッキリしない答え。
ここで食い下がるわけには行きません。

「先生の意見を聞かせてください。」

「太ももはもうトリガーポイントがなくて
(触診しながら) こんなに柔らかいんだから
もう注射する必要はないと思う。 膝下の疼きに関しては
脳が痛みを覚えていてこうすれば痛くなるという
脳の記憶によって痛みがきているのではないかな・・・。
いわゆる脳の勘違いみたいなもので・・・。」


なんだか納得したようなしないような内容だったけど
先生の口調は真剣だし、しっかり話を聞いてもらえた感じがしたので
その場は、まぁいいかと納得しました。

その後、再度

「足が上がるか」

と言われ、先生に支えてもらいながら上げると
今度はその状態で少し耐えられました。
先生はやけに満足げでした。

そして最後に先生は

「良くなるから大丈夫だからね。」

と、ものすごく優しい声で言ってくれました。
だけど、この言葉をそのまま信じて 
「はい!」と、高らかに返事をすることはできませんでした

先生のことを信頼できていれば、涙でも流したところだろうけど
そんな気持ちには到底なれず、軽くうなずくしかできませんでした

それでも、最近の注射は適当にされることが多かったり
外来患者には優しい口調だけど入院患者を邪険に扱っている感が
あっただけに、相談もできたことで心が軽くなった気分でした。

そして、このまま快方に向ってほしいと願いました。

しかし注射から2時間が経ったころ
また右膝にひどい痛みが走り出しました。

そうこうしているうちに、またもや自力では上げられなくなり
その後、どんどんどんどん痛みは増していき
杖をつかないと歩けないほどの激痛になっていきました。

じっとしていても痛い、普段の疼きとは明らかに違う、
注射を深く打たれたことによる何かを傷つけられたような
そんな痛みでした。

注射後しばらくして足が上がったり、痛みがひいたのは
麻酔薬が効いていただけだったんだ。

また前と同じことが起こった。
自力で足が上がらない。
歩けない。

20日かかってやっとここまで来たのに。
ここまでくるのにどれだけ大変だったか。
毎朝フラフラの状態で、やっとここまで来れたのに・・・。

また自力で足も上げられず、歩けない日々が戻ってくるかと思うと
悔しさが込み上げて涙が止まりませんでした。
お盆休みの告白
2009年02月16日 (月) | 編集 |
またまた去年入院時の記録に戻ります。
暗い内容が多くなりますが、よかったらお付き合いください。

********************************************************

入院中、ダンナは遠方にもかかわらず
月に2~3回お見舞いに来てくれていました。

仕事で毎日遅くなるのに、食事の準備、家事、買い物をこなし
きっと体はヘトヘトに疲れているはずなのに・・・。
本当に有難いことでした。

入院中、弱っている私にとっては
ダンナの存在は大きな支えでした。

週末に病院の近くで外泊することも何度かありました。
お盆休みはレンタカーを借りて、2泊で近場の温泉に行きました。

この頃は、深打ち注射で歩けなくなってから
少しずつ動けるようになっている途中でした。

深打ち注射のことは、ダンナにも話をしていましたが
心配をかけるので詳しくは話していませんでした。

きれいな景色を見たり、自然の中をドライブしたり
楽しいはずなのに、心に引っかかるものがあって
気持ちがスッキリしませんでした。

ダンナもきっと何かあると分かっていたでしょうね。
これ以上自分の胸だけに留めておくのは限界になり
最終日、とうとう何もかも辛かったことを話してしまいました。

入院当初から先生の言動に不安があったこと
心無いことを言われたこと
気持ち悪い男性の話、病院の衛生環境のこと
その他にも色々と嫌なことがあり
泣きながら、洗いざらい全てを打ち明けました。

ダンナは黙って聞いていました。
きっと悔しい思いでいっぱいだったと思います。
人一倍、心配性な人だから・・・。

だけど何も言わずに受け止めてくれました。

そのおかげで、私はものすごく気持ちが安定し
心がスッと軽くなりました。

ダンナのためにも、早朝歩行を続けて
片杖、杖なしと歩けるように頑張る!
そして1日も早く退院できるように頑張ると約束しました。

ダンナは私が散歩に行くときに歩きやすいようにと
軽いスニーカーや動きやすい服、散歩中に聞く音楽など
色んなものを準備しては送ってくれたり
持参してくれたりしていました。

今回はスニーカーを持ってきてくれており
それを履いて頑張って歩く練習をしようと
張り切って、このお盆休みを終えました。

あともうちょっと!!
しんどいけど、あともうちょっと頑張ろう!
そんな風に思えた貴重な時間でした。
死にもの狂い
2009年02月12日 (木) | 編集 |
例の深打ち注射の1週間後には、なんとか自力で
足を上げられるようになりましたが、痛みは変わらず。

日中は気温が高いのでそれだけで疼くため外に出られず。
だけど、このままじっとしていても治りそうもないし
歩けるようにもならない。

眠剤を飲んでも眠れないので日が昇る前に
歩行訓練をすることにしました。

といっても、痛みが強くそんなに歩けません。

睡眠不足で体はフラフラで意識も朦朧としていましたが
両杖をついて、なんとか頑張りました。

はじめは、少し歩いては休憩し
また少し歩いては休憩し、を繰り返しました。 

そのうち5分、10分と歩けるようになり
何度も何度も休憩を挟んでちょっとずつ歩く練習をしました。

日の出前と言ってもやっぱり真夏のことです。
動くと熱くなるので膝が疼きます。
冷えピタシートを張ったり、湿布を張ったりして
なんとか頑張りました。

休憩を何度も挟むけれど、合計すれば
20分、25分、30分と歩けるようになっていきました。

そして、あの注射から毎日毎日歩行練習をし
20日かかって、ようやく50分歩けるようになりました。

もちろん、連続ではありません。
連続では10分か15分歩くのが限界で
途中で何度も休憩を挟みました。

だけど、やっとここまできました。
あともう少しで、また片杖、杖なしと練習ができるかもしれない!

もっと頑張れば、退院できるかもしれない!!
そんな希望が少しだけ出てきました。

でも・・・

毎日の注射は雑なことが多く
肝心の膝の痛みはマシになることはありませんでした。

あの日以来、膝下に注射をするのは怖くて
ほとんどしてもらわず、してもらっても浅く
注射液も少量だけに留まっていました。

でも、それだと痛みは一向に治まらず・・・。
どうしたものかというのが悩みの種でした。
信頼が揺らいでいく
2009年02月11日 (水) | 編集 |
先生の耳を疑うような言動は不妊治療の話だけに留まりませんでした。

これは、入院してどれくらい経ってからのことか忘れましたが
私の太ももに注射をするとき

「ここにヒモをグルグルに巻いたら、ボンレスハムになるな~。」

と 笑いながら言われました。

「先生、失礼ですよぉ~」 

私はヘラヘラ笑いながら流しました。

冗談で言っておられるのは分かりましたが
内心はとても傷ついていました。

歩けなくなって1年以上が経ち、抗うつ剤も長期間飲んでいたため
体重はものすごく増えてしまいました。

歩けないので筋トレをしたり、1日1200~1300kcal になるように
口に入れるもの全てを細かくカロリー計算して、少しでも痩せるようにと
努力していましたが、抗うつ剤は代謝を落とすし、太る作用があるので
いくら頑張っても体重はほとんど減ってくれませんでした。
(退院後は8キロも体重が減っていましたが・・・。)

このときは、太ったのが原因で太ももが太いんだと思っていましたが
病気のせいで悪い筋や腱が多すぎて、張りと浮腫みが
ひどかったのだということが分かっていませんでした。
もちろん、先生もそんなこと分かっておられなかったのでしょう。

こんな思いをしているのは、私だけではありませんでした。
他の入院患者の女性にナイーブな質問を平気でしたり
土足で人の心に踏み込むようなことを何度も言っておられました。

はじめは頭で打ち消していた先生のこういった言葉も
何回も聞くうちに、だんだんと打ち消せなくなっていきました。

その他にも毎日の回診や夕方の注射の時に

「今日は、どうだった?」 

と聞いてくれるのはいいのですが
症状など毎回きちんと説明をしているのに
毎回同じことを言っていても、先生が覚えておられないことが
あまりにも多かったのにも段々と嫌気がさしてきました。

はじめは忙しいから仕方がないと言い聞かせていましたが
発症した原因や、痛みの箇所、肝心なところを忘れられている
ということが多々あり、本当に先生は話を聞いておられるのか?
という疑問が沸いていき、毎回同じことを言ってると自分に気付き
先生はきっと覚えておられないのだと確信しました。

これも私だけに限ったことではなく他の人にもそうでした。

先生が毎日患者の症状を聞かれていても
覚えておられないのでは全く意味がありません。
しかも、治療に最も重要な情報が頭に入っていなかったら
意味のない注射を受けているのと同じような気がしました。

私の場合は

「関節鏡をしたのは1箇所だったっけ?」
「痛いのは、どっちだったっけ?」 


1回でなく何度も聞かれました。

右膝が痛いということは覚えてらっしゃる時もありましたが
そのうちしばらくすると同じ事を聞かれたり
痛い箇所が反対だと言われたり。

それから 「院内は杖なしで歩けるね」 この言葉。

毎日の注射の時に、散歩はどれくらい歩けたとか
調子はどんな感じだとか説明しているのに

「院内は杖なしで歩けるね」 

これだけは毎日毎日同じことを聞かれて
どうして毎日毎日同じことばかり聞かれるのだろうと
そのうちストレスになっていきました。

散歩に行って、ある程度の距離が歩けているなら
院内を杖なしで歩けるどうか毎日毎日確認する必要が
どこにあるのか。 

そして、そんな時に言われたのが

「君は Hoffa病 じゃないか?」

急にそんなことを言われ、もちろんその病気の意味も分からず
後で自分で調べてみると

別名 『膝蓋下脂肪体炎』 と書いてありました。

先生が言うには、私の膝は他の人より脂肪がたくさんついている。
普通はそんなに膝の上に肉はない。 
だからその病気じゃないかって。

調べてみたら、当てはまるところも少しありましたが
決定的に違うのは、ある文献によると
「膝を屈曲すると痛みが消失する」 とあったこと。

私は痛くて膝を曲げられません!!

入院して2ヶ月以上も経つのに今更何を言ってるの?
そんな思いでいっぱいでしたが
翌日には丁重に否定しておきました。

(今から思えば、その脂肪だと思われていたのも
腫れて肥厚していた状態だったのに・・・。)

こんな状態が続いていき、だんだん先生の言葉を
信頼できなくなっていきました。

そしてそんな中、毎日の注射も雑になっていきました。

患者が印をつけているのにそこには注射をしなかったり
数が多いと何も言わずにたくさん飛ばしたり
変な角度から注射をしたり。

患者が丸をつけるのも数が多かったり、背中や腰、お尻などは
見えないので鏡で見ながら丸をするのが大変な作業でした。

丸付けだけでとても疲れるし、不自然な体勢でするので
体中が痛くなります。

だからといって、丸をつけないと適当極まりない
注射の仕方をされるので丸をつけないわけにはいきませんでした。

先生が忙しいのは重々承知だけど
適当な注射が続いたり、あまりにもひどい対応が続くと
入院している意味が本当にあるのかどうかすら
疑問に思えてきました。

だけどやっぱり治りたい。

そのときは、この治療しかない!ここしかない!
そう思い込んでいました。

すがるしかなかったのが辛いところでした。
耳を疑った言葉
2009年02月10日 (火) | 編集 |
入院前から、この病院の先生には全幅の信頼を置いていました。

ブログや掲示板で入院患者から慕われているのがよく分かったし
何よりメールアドレスを公開し、面識のない患者にもメールで
相談に乗ってくださり、親身になってくださっていると思ったからです。

普通、そんな医者はいません。
しかも入院患者全員に朝夕の2回の注射、
土日も休みなく注射をしてくださっていました。

そして「絶対治るからね」と優しい言葉をかけてくださいました。

そんな 『絶対治る』 という言葉を本当に信じていいのか
この気持ちが揺らいでいったのは例の注射の後からでした。

そして、頭で打ち消していた思いが徐々によみがえり
先生に対しての不信感も少しずつ表に出始めました。

これも退院直前まで誰にも言えなかったこと。
ダンナにも決して言えませんでした。

初めて耳を疑ったのは、入院4日目のことでした。

夕方の注射の時、私は1番の診察室で注射を受けていました。

夕方の注射は外来患者との合間に行うので
2番、3番、4番と薄いかカーテンで仕切られているところに
治療台があり、治療しているときの声は丸聞こえです。


その時の会話は下記の通りです。

先生  「結婚して、何年目だ?」  

私    「6年目です。」

先生  「子どもは?」

私    「いません。」

この辺りで、すでに嫌な感じがしていました。 

薄い壁を挟んだ隣には、どなたか分かりませんでしたが
男性の入院患者さんがいらっしゃったからです。

プライベートな質問を周りに筒抜けな状態で
話すことにとても抵抗がありました。

先生  「そういう病院に通っていたのか?」

私    「はぁ、まぁ・・・」

先生  「私にも娘がいて、君の住んでいる近くに住んでいるんや。」

私    「そうですか・・・。」

先生 「関西には、そういう病院はたくさんあるんか?」

私   「まぁ、たくさんありますけど・・・」

先生 「この近くにも何とかっていう病院があったなぁ。」 

と、独り言のようにつぶやき、いきなり隣の診察室辺りに
いらっしゃる看護師さんに


先生  「あそこの病院は、なんていう名前やった? 
      あそこは人工授精とかもしとるんか?」


それは、それは、大きな声で、隣の看護師さんに聞かれました。
2番にも3番にも診察室中に聞こえるくらいの大声でした。

看護師さんは、病院の名前を躊躇しながらも言い
人工授精については、お茶を濁したような返答をされました。
看護師さんも困っておられるのが分かました。

そして、先生は私にこう言ったのです。

「退院する時、帰りに、そこに寄っていけばいい。」 

ヘラヘラ笑ったような口調で・・・。

私は内心、意味が分かりませんでした。 
そこに寄って、何をしろと??
私はショックすぎて、一瞬頭が真っ白になりました。

何故そんな女性にとってナーバスな問題を
しかも心療内科の看板を掲げている医者が
何のために何を思って、大声で言われたのか・・・。
全く理解できませんでした。

でも私は、まだ入院して4日目。 
これから、先生に診てもらわなければならない立場なので
そこは、明るく切り替えしました。

私  「先生、そんなところに1人で行ってどうするんですか。 
    1人で行っても何の意味も無いじゃないですかぁ~。」


私はハッハッハ~と笑いながら、その嫌な言葉に対して
出来る限りの明るい対応をしました。

しかし、その夜は悲しくて悲しくて、涙が止まりませんでした。
心療内科の看板を掲げ、痛みの治療には心の治療も必要だなんて
言っている先生があのような場所で、大声で言う必要があったのか?

しかも、私は初めて先生にメールをした際に
不妊治療をしてストレスがあったことを書いていました。
筋筋膜疼痛症候群を引き起こす要因の1つに
ストレスが考えられるからです。

それは、先生が心療内科の資格も持っておられ
非常に患者思いで、献身的に治療をしてくださる方だと
聞いていたし、信じていたからこその告白でした。 

先生はそんな私の思いも、私がメールにそのようなことを
書いていたことも全くお忘れで、そんなことを言われたのです。

別に忘れられていたことに関しては咎めるつもりはありません。
多くの患者を診ておられるのだから、一人一人事細かく把握するのは
非常に大変なことだから仕方のないところもあるかもしれません。

しかし、心療内科の資格を持っている如何に拘わらず
普通は医者でなくとも、そんなことを大声で話さないと思うのです。
 
隣の診察台にいた入院患者さん、その隣にいた
入院患者さんにも聞こえていたと思います。

それが誰だったのかは分かりませんが
私のプライバシーを暴露され、ものすごく気持ちが動揺しました。

明らかにおかしいこの言動でしたが
必死でこの言葉を頭から打ち消すよう努めました。

まだ入院して4日目のこと。
何が何だか分かりませんでした。
ブログ休止の裏側
2009年02月08日 (日) | 編集 |
入院中の記事を見返すと、問題の注射を受けた
その日に書いた記事がありました。→ 疼きと熱感 

この記事を読むと、事の詳細は書かずに
淡々と綴っていますが、本当は痛くて痛くて
ショックでショックでどうしようもない状態でした。

その気持ちを押し殺して、どうにかもう一度頑張りたい
先生のことを信じたい、と自分に言い聞かせていたのでしょうね。

問題の注射の後、3日くらいは膝自体に注射を打つのをやめ
太ももや肩などの別の部分の注射を中心にしてもらいました。

それでも右膝下の痛みは変わらず、足も上げられない状態が続き
そのことを先生に話すと、一番痛い箇所は避けてその近くに
浅く注射をしてもらっていました。

1週間ほどすると、右足が自力で上がらなかったのも
毎日のリハビリの成果もあり少しずつ上がるようになりました。
だけど、やっぱり肝心の膝下の痛みは治まらず
真夏の気温ということもあり疼きや熱感はピークに達していました。

同年代の友達と2人部屋になり
それだけでだいぶん環境は良くなりましたが
相変わらず不眠や動悸などの症状は治まりませんした。

そのうち、いつになったら治るんだろうという不安や
焦りが出てきて、余計にしんどくなっていきました。

入院中にブログを休止したのは、こんな最中の出来事でした。

その時の記事 → お知らせ と ご報告 
試行錯誤の末
2009年02月06日 (金) | 編集 |
杖なしでたくさん歩けた日を境に足の調子が悪くなっていき
その2週間後くらいからは不眠になって
眠剤を色々試してもなかなか眠れず
日中は眠剤の副作用で体がだるく
ボーっとしてしまうこともしばしば。

気温が高いことから疼き、熱感がひどくなり
注射をしても一向によくならない日が続きました。

だけど、このままでは治らないからと
筋肉やトリガーポイント関係の本を取り寄せて買って
どうやったら治るか、どの筋肉に注射をしたらいいのかと
フラフラしたしっかりしない状態の頭で頑張って研究していました。

他にも体質改善や凝り固まった筋肉には何が良いか考え
体を温めるのがいいからといって生姜紅茶を飲んだり
レンジでチンするホットパックを買ってきて
足は疼くのできませんが足以外のところにあててみたり
マッサージ器を自宅から送ってもらったり。

注射をしてもらう場所は、はじめの数回は先生にお任せしていましたが
この先生の考えでは痛いところがトリガーポイントだということだったので
自分で押して痛いところに丸をしてそこに注射をしてもらっていました。

今から思えば、患者が丸をつけて医者がそこに打つなんて
間違っています。 それはトリガーポイントではなく圧痛点だったのに。

打ったらよくない場所だっていっぱいあるのに
患者も医者もそんなことも気づかずに注射をしていました。

睡眠不足でフラフラな状態でもなんとか頑張っていましたが
試行錯誤をして、打つ場所を変えたり
何か良い方法はないかと考えて実践しても
一向に膝の痛みは取れませんでした。

治療当初から膝下が一番痛かったけれど
太もも全体に悪い筋肉やスジがあって、張りが強く
その張りがとれていけば膝の痛みも治まっていくと言われていました。
治療を続けていくにつれ、その張りは取れていきました。

当初はカチンコチンに固まっていた太ももも
この頃には柔らかくなっていました。

義母は来てくれた日にたくさん歩きすぎて
今まで使っていなかった筋を傷めたのは分かるけど
あれから1ヶ月近く経つのに一向によくならないのは何故なのか。

膝が痛む原因は太ももにあると先生は言っていたけれど
太ももがこんなに柔らかくなっているのに
肝心の一番痛い場所である膝下の痛みが
全然取れないのは何故なのか。

こんな疑問が沸々と沸きあがってきました。

足に注射をしてもらっていたのは太ももはもちろん
一番痛い場所である膝下にも注射をしてもらっていました。
その場所は膝蓋腱のあたりで、膝のお皿の下の方です。

手術した病院では膝蓋腱にステロイドを注射して
すごくよくなったことがありましたが、その時の主治医は
膝蓋腱に注射するのは危険なので頻繁にできないからと
1ヶ月に1回くらいしかしてくれませんでした。

膝蓋腱は細い腱なので組織を壊す危険があると
強く言われていたので、膝下に毎日毎日注射をするのは
抵抗がありました。 しかもメチャクチャ痛いし・・・。

だけど、入院中にはこの注射は何度やっても人体には無害で
全く問題がないと言われ続けていました。

膝下の痛みが取れないのはどうしたら良いかと聞くと
そこに注射をしたらいいというのが先生の考えでした。

だから、1日2回、そんな膝下の小さな場所に
2~3箇所毎日毎日打ち続けました。

だけどそれでも一向によくなりません。

そのことを相談すると今度は注射液をたくさん入れてみよう
ということになり、しばらくそれを続けました。

膝に注射をしたことがある人は分かるかもしれませんが
少し注射するだけでも相当痛いのが
液を多めにすると更に痛くなります。

液を多めにすると少しの間、痛みが楽になるような
感じはありましたが、今から思えばそれは局所麻酔が
効いていただけに過ぎなかったのだと思います。

そんな痛みの強い注射を続けること数日。

今度は余計に膝下の痛みが強くなってきて
寝ている状態で膝を自力で持ち上げることができなくなったり
注射の直後に起き上がれなかったりと
症状はひどくなっていきました。

このときも痛かったのは右の方がひどく
左は足上げができても右はできなくなってしまいました。

そのことを先生に伝えると、先生は今までよりも
更に深く液を多く入れる という注射を
右膝の一番痛いところ膝蓋腱あたりに2箇所もしました。

その注射の痛いこと、痛いこと!

注射が終わると先生は 「足が上がるか?」 
と仰向けの状態で私に足を上げさせました。

それでも足は上がらず。

すると先生は更にもう一発。

ウソっ!? と疑う暇もなく注射針はどんどん奥深く
そして注射液がどんどん注入されました。

これには、痛すぎて痛すぎて言葉が出ませんでした。

そして、また足が上がるかの確認。

が・・・ 頑張っても上がりません。

先生が少し手を支えてやっと少しだけ上がりました。

先生はそれで納得したのか
痛すぎる注射はそれで終了しました。

この後、麻酔の効いている30分くらいは
少し痛みがマシになりましたが、その後は地獄でした。

注射を打ったところが痛くて痛くて
足も全く上がらなくなり、更に院内を歩くのも
杖を使っても大変な状態になってしまいました。

これが更なる地獄の始まりでした。
絶頂期間
2009年02月04日 (水) | 編集 |
ダンナと共に期待に胸を膨らませて
遠方の病院に赴きました。 

先生は入院する前からメールでやりとりをしてくださっていて
本当に患者思いのいい先生だと信頼していました。

診察を受けると人柄の良さそうな感じで
今までの辛い痛みや、どこに行っても原因不明で
きちんと診てもらえなかった苦労を分かってくださり
本当に救われた気持ちになりました。

診察をしてもらうと、やはり筋筋膜疼痛症候群だと分かり
治療をすることになりました。

私の足は膝から太ももにかけて両足ともパンパンに張って
浮腫んでおり、今から思えばどこに注射をしても
悪いところに当たって当然といった感じだったのでしょう。

片足15~20箇所、計40箇所くらい注射をしてもらいました。
注射液は局所麻酔薬カルボカインで、1箇所につき
ごく少量を注入していくというものでした。

午前と午後に分けて同じような注射をしてもらい
その日はダンナと近くのホテルに宿泊しました。

注射の後しばらくは、足全体がビリビリした感じで
おかしな感覚でしたが、効果はその夜と翌日、顕著に現れました!

今まで両杖をついても3分と立っていられず、5分も歩けなかったのが
平気でブラブラと歩いて買い物ができるようになっていました。

そして、痛みがひどくなるので飲めなかったお酒が飲めたり
灼熱感と疼きでゆっくり入ることのできなかった入浴ができたり
段差を上るのが辛くなかったりと、今まで辛かった動作が
数多くできるようになっていたのです。

1回の治療でここまで良くなるなんて!!

2週間くらいの入院のつもりで遠方まで来たけど
この調子じゃもっと早く退院できそうだとダンナも私も大喜びで
大きな期待をもって、翌日から入院生活を開始したのでした。

入院1週間で、それまで飲んでいた薬が全て止められました。
止めるのが一番怖かった抗うつ剤は、はじめは痛みが出て
辛かったですが徐々に慣れていき、そのうち痛みを感じることが
なくなりました。

毎日歩く練習をし、はじめは両杖で5分しか歩けなかったのが
10分になり、20分になり、入院11日目には片杖で15分も
歩けるようになりました。

両杖で1時間、片杖で30分と記録は日々更新され
とうとう入院18日目には杖なしで歩けるようになりました。

それから杖なしで歩く練習を重ねていくと
だんだん歩けるようになり、ネットカフェやバスに乗って
行く買い物も、杖なしで行ってみたりと絶好調でした。

そして、運命の日。

入院から25日目、義母が遠路はるばるお見舞いに来てくれました。
歩けるようになった姿はダンナも見ていなかったので
義母には見せたいと張りきったのがいけなかったのかな。

駅前まで義母と一緒にバスで出かけ(もちろん杖なしで!)
そしておいしいランチを食べ、その後も駅前をブラブラしました。

義母を見送り、さて病院に帰ろうかと思ったところ
バスの時間までものすごく待たなければならなかったので
無謀にも歩いてみようと歩いて病院まで帰りました。

結果、25分で普通に歩いて帰れました。
この日は合計すると杖なしで1時間くらいは歩けました。

この日は本当に嬉しくて、こんなに歩けた! 普通に歩けた!
と、ものすごく興奮したのを覚えています。

あともう少しで退院できると思ったのに・・・。

この日のことは入院中にも記事にしていましたが
これを境にどんどん悪化の一途を辿っていったのでした。
重い腰を上げて
2009年02月03日 (火) | 編集 |
今まで書きたいと思いながらも書けないでいた
昨年入院中のことを書きたいと思います。

本格的に赤ちゃん待ちを始める前に
スッキリさせておきたいという気持ちが強いからです。

以前からブログを読んでくださっている方には
たくさん応援もしていただいたのに、詳しく報告ができていなくて
申し訳ないとずっと思っていました。

入院中のことを思い出すのは、正直なところ辛いですが
自分の治療記録を残しておく意味でも
重要なことだと思うので書くことにしました。

数日に分けて書こうと思いますので、現在進行中の治療の記事も
途中に挟むかもしれませんがご了承ください。

******************************************************

入院したのは昨年のこと。
ネットで見つけた遠方の病院でした。

ことの経緯を簡単に書くと、2007年4月、花見に行って
急な坂道を下っただけで2週間後には立つことも歩くこともできなり
関節鏡手術をしても治らず、1年間あらゆる手を尽くして
治療を試みるも治らず、治療法も病名も分からないままでした。

1年後、大学病院疼痛センターの有名教授、
疼痛研究をしている有名な先生などドクターショッピングを
繰り返すも何も分からず、このまま治らないようなことを
言われていました。

これ以上診てもらう病院がないと途方に暮れているときに
見つけたのが入院した病院でした。

私の病気が 筋筋膜疼痛症候群 ではないか
ということが分かったことは本当に大きな収穫でした。
そして、そこから入院への道が開いていきました。

その頃の記事を読み返すと本当に期待に胸が膨らんでいて
先生に対して全幅の信頼をしているのが分かります。

そのときは本当にそう思っていたし
それが正しい道だと思っていたから・・・。

入院前と入院中に書いた記事は、カテゴリーの
筋筋膜疼痛症候群(MPS) と 遠方での入院 に入っています。

ただし、この頃に書いた内容には、トリガーポイントのこと、
トリガーポイント療法について等、私自身が誤った解釈を
しており、それをそのまま書いていることをご了承ください。

今、正しい治療を受けている中で言えることは
トリガーポイントは自分で見つけられるほど簡単なものではないし
医師であっても簡単に見つけられるものではないということ。

そして入院中に受けていたのは、トリガーポイント治療 ではなく
圧痛点治療 だったということです。

さて前置きが長くなりましたが、本題は次の記事から
書いていきたいと思います。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。